代表者名 | 代表取締役社長 石 渡 秀 雄 |
所在地 | 〒135-0052 東京都江東区潮見2丁目1番16号 |
電 話 | 03-3647-6111(代表) |
ファックス | 03-3647-5210 |
U R L | http://www.sumidagawa.co.jp |
E - m a i l | info@sumidagawa.co.jp |
創 業 | 大正2年(1913年)4月2日 |
資本金 | 1億円 |
営業種目 | 高張力鋼製、アルミニウム合金製、FRP製、木製等各種高速船艇の設計・建造・修理 ①巡視船艇、警備船艇、測量船、消防船艇、油回収船、油処理船 ②漁業取締船、漁業調査船、遊漁船 ③高速観光船、同旅客船、交通船、遊覧船 ④モータークルーザー ⑤曳船、艀等各種港運船 ⑥自社設計による高性能プロペラ(共同開発) |
弊社は大正2年4月に東京・向島に西洋式高速艇専門造船所として創業しました。
爾来、海軍向けの高速艇を建造し、戦後は海上保安庁殿、警察庁殿、地方公共団体殿、旅客船船主殿、更には国外船主殿等、様々なお客様に主に巡視艇、警備艇、消防艇、高速旅客船等の高速艇を建造しております。
創業時は木船からスタートしましたが、鋼、高張力鋼、アルミ合金、FRP等、新しい船舶用材料が開発され、また日本の経済社会の進展に伴い高速艇に対するお客様のニーズも警備、消防、汚染防除、海洋調査、高速輸送など様々に変化し続け、近年は特に快適性の追求という要素も大きなウエイトを占めてきています。
安全性を第一に、弊社は「海が好き、船が好き、物づくりが好き」という次代を担う人材を育て、時代の変化を先取りして今後とも進化し続け、多様なニーズに対応した船づくりに邁進してまいります。
爾来、海軍向けの高速艇を建造し、戦後は海上保安庁殿、警察庁殿、地方公共団体殿、旅客船船主殿、更には国外船主殿等、様々なお客様に主に巡視艇、警備艇、消防艇、高速旅客船等の高速艇を建造しております。
創業時は木船からスタートしましたが、鋼、高張力鋼、アルミ合金、FRP等、新しい船舶用材料が開発され、また日本の経済社会の進展に伴い高速艇に対するお客様のニーズも警備、消防、汚染防除、海洋調査、高速輸送など様々に変化し続け、近年は特に快適性の追求という要素も大きなウエイトを占めてきています。
安全性を第一に、弊社は「海が好き、船が好き、物づくりが好き」という次代を担う人材を育て、時代の変化を先取りして今後とも進化し続け、多様なニーズに対応した船づくりに邁進してまいります。
墨田川造船株式会社 代表取締役社長 石 渡 秀 雄
役職 | 氏名 |
代表取締役会長 | 石渡 博 |
代表取締役社長 | 石渡 秀雄 |
常務取締役 | 石原 義之 |
取締役工場長 | 森川 克美 |
取締役技術本部長 | 狼谷 喜和 |
取締役資材部長 | 田野中 聡 |
非常勤取締役 | 小紫 嘉之 |
監査役 | 成川 秀幸 |
大正 2年(1913年) | 高橋新八男爵が向島に墨田川造船所を設立。初代社長となる。 我が国発の洋式船工場として発足。 |
大正 3年(1914年) | 高橋社長が考案した「高橋式つかさ丸型」船型の特許取得 |
大正12年(1923年) | 古野谷喜三郎が第2代社長に就任。 |
昭和 4年(1929年) | 「Miss SUMIDA」を製作。速力50哩/時を達成し大きな話題となる。 |
昭和 8年(1933年) | 日本モーターボート協会のレースが開催され、弊社の「スミダクラフト」が高い評価を得る。 |
昭和12年(1937年) | 海軍省指定工場となり、内火艇、ランチ、カッター等の大量生産を行う。 |
昭和16年(1941年) | 品川区鮫洲に新工場を新設。 |
昭和20年(1945年) | 鈴木 忍が第3代社長に就任。 |
昭和24年(1949年) | 前年発足した海上保安庁より巡視艇2隻を受注。 |
昭和27年(1952年) | 杉浦 茂が第4代社長に就任。 |
昭和28年(1953年) | 石渡 常次郎が第5代社長に就任。 日本初のFRP製ボートとして「B級ランナバウト」を製作。 工業技術研究会受賞。 |
昭和30年(1955年) | タイ国政府より、30呎型消防艇66隻を大量受注。 |
昭和31年(1956年) | FRP船体外部のカバーリング等で特許取得。 防衛庁向けの高速救命艇を建造。実用艇として世界最高水準の45ノットを記録。 |
昭和33年(1958年) | 茨城県より受注した漁業指導調査船は初の軽構造V型船型を採用し、漁船としての高速化に先鞭となった。また、日本初のウォータージェット艇を受注。 |
昭和35年(1960年) | 特定船舶整備公団・志摩観光汽船より初の軽構造V型観光船を受注。 |
昭和36年(1961年) | 横浜倉庫株式会社の傘下に入る。鈴江 繁一が第6代社長に就任。 |
昭和37年(1962年) | 小紫 芳夫 第7代社長に就任。 |
昭和40年(1965年) | 大阪市消防局より世界初の軽構造製の双胴消防艇を受注。 モーターボートショーに42呎のモーターランチを建造、出展。 |
昭和44年(1969年) | 高速道路の建設によって56年間操業した墨田区向島より本社、工場を現在の江東区造船団地に移転。高速艇の量産化体制を整える。 |
昭和47年(1972年) | 田野中 稔 第8代社長に就任。 |
昭和48年(1973年) | タイ、フィリピン等の救命艇を受注 |
昭和53年(1978年) | 伊豆箱根鉄道より160総トン高速旅客船、東京都観光汽船より130総トン鋼製旅客船をそれぞれ受注。 |
昭和54年(1979年) | タイ国税関より34メートル型全軽合金製モーターランチを受注 |
昭和57年(1982年) | インド政府より44メーター高速捜索救命艇を7隻受注。うち4隻を当社で建造し、3隻をPD方式によってインド国内にて技術指導により完成。 |
平成元年(1989年) | 熊本県より高張力鋼製漁業取締船「あそ」を受注。 本船は国内最大級の取締船である。 |
平成 2年(1990年) | 東京消防庁の119トン大型消防艇「みやこどり」を建造、デザインの優美さに注目を浴びる。 |
平成 7年(1995年) | 速力40ノット以上の軽合金製警備艇「たけより」を建造。 |
平成 4年(1992年) | 田野中 稔 会長に就任。 石渡 博 第9代社長に就任。 |
平成10年(1998年) | 37.6メートル型近海遊漁船「キャプテン1号」を建造。メディアに大きく取り上げられる。 |
平成11年(1999年) | 速力45ノット以上の軽合金製警備艇「そうや」を建造。 |
平成12年(2000年) | 沖縄サミット時に整備チームを派遣。功績により海上保安庁より表彰。 |
平成13年(2001年) | 大物艤装品の移動等に対応するため、15トン型固定式ジブクレーンを増設。 |
平成14年(2002年) | 隣接倉庫を買収し、資材保管機能を強化。 |
平成15年(2003年) | 製造の効率化を図るためプラズマ自動切断機を導入し、3次元船体構造設計ソフトにより切断機と連動させ、船体設計製作を効率化。 |
平成16年(2004年) | 第一工場の造船台上屋を拡大改築し、全天候型の屋内工場とした。アルミニウム合金製船舶建造に対応する工場とするとともに、50m以上の大型船の建造を可能とした。 |
平成17年(2005年) | マレーシア国政府向け練習船を受注。 |
平成18年(2006年) | 海上保安庁よりπ材全アルミニウム合金製30メートル型巡視艇2隻を受注。 |
平成19年(2007年) | インドネシア共和国から海賊・海上テロ対策のため巡視艇建造の為のプロジェクトを政府開発援助無償案件として受注。 |
平成23年(2011年) | 浮きドックを整備し、建造体制をさらに強化。 |
平成25年(2013年) | 石渡 博 会長に就任。 山口 嘉弘 第10代目社長就任 |
平成26年(2014年) | ジブチ共和国から沿岸警備隊向けに20メートル型巡視艇2隻を受注。 |
平成27年(2015年) | 石渡 秀雄 第12代目社長就任 |